ヴェネチア・ビエンナヴェーレ2024

私達がアートイベント「ヴェネチア・ビエンナーレ」に飛びつくのは、ヴェネチアという街が、新鮮でクリエイティブ、そしてグローバルなエネルギーに満ち溢れるから。そんな第60回ヴェネチア・ビエンナーレは、ブラジル人芸術監督であるアドリアーノ・ペドロサによるキュレーションのもと、2024年11月24日まで開催中だ。ヴェネチア・ビエンナーレ史上初のラテンアメリカ出身のキュレーターとなるペドロサ氏だから、きっとアートの世界に新しい風を運んできてくれるに違いない!今回のテーマは、「Stranieri Ovunque(どこにでもいる外国人)」。これは、イタリアで人種差別との闘いに取り組んだアーティスト集団「Stranieri Ovunque」にインスパイアされ、パリで設立されたアーティスト集団「クレール・フォンテーヌ」が2004年に制作を始めた一連の作品の名称でもある。(そういえば、公式日本語訳は「どこでも外国人」と訳されていたけれど、これは機械的なニュアンスを出すためにあえて機械翻訳を使用したのか、もしくは自然に「どこでも」と訳してしまうほどの、ドラえもん好きなのか・・・)

 

ペドロサ氏によると、この「Stranieri Ovunque」の解釈は複数あるそうだ。一つは、「どこに行っても必ず外国人に出会う」ということ。もう一つは、「自分の置かれた状況にかかわらず、心の奥底では誰もが外国人である」ということだ。今回の展示では、疎外された人々、移民、難民、亡命者、先住民、クィアなど、さまざまな意味での「外国人」をテーマに製作したアーティストたちが、330名以上参加する。その多くは南半球に位置するアジアやアフリカ、中南米地域等の新興国・途上国の総称である「グローバル・サウス」出身で、ビエンナーレに参加するのは初めてだという。

イタリア人、フランス人、アメリカ人、日本人などの国際色豊かなメンバーで構成され、全員母国を離れて「外国人」として、異国の社会で生活した経験を持つワカぺディアチームにとって、この「Stranieri Ovunque(どこにでもいる外国人)」とは、一度は感じたことのある感覚だ。私たちにとって「外国人」であるということは、異なる文化に触れ、まだ知らぬ景色を見つけることで、広い視点から世界を見つめることができる絶好のチャンス。つまり、外国人でいるということは、欠点ではなく財産なのだ!過去のビエンナーレも素晴らしかったけれど、今回も負けていない!(2019年度2022年度の記事も見てね♪)さぁ、2年に一度のアートの祭典で、私たちに最も刺激を与えてくれたパビリオン ベスト5を、ワカぺディア特別賞と共にご紹介しよう!

ドイツ館

いつも入り口に長蛇の列が出来る今年のドイツ館は、最も人気なパビリオンとも言えるだろう!チャーラ・イルクがキュレーションを担当した、「Thresholds(境界)」と名付けられた展示には、トルコ生まれのドイツ人オペラ・舞台監督のエルサン・モンタークと、イスラエル人アーティストであるヤエル・バルタナの作品が集結した。宇宙空間の旅を連想させるような、無心で歩き回るパフォーマーや、森の中で行われる神秘的な儀式、そして轟音といった、時空を超えた様々な要素が重なり合っている。

パビリオンの中央ホールに進むと、エルサン・モンタークによる螺旋階段のある多層構造物が目に入ってくる。これは「Monument to an Unknown Person(無名の人への記念碑)」というインスタレーションのメインセットだ。1968年にトルコから西ドイツに移住し、アスベスト工場で働いた後にガンで亡くなった、モンタークの祖父へのオマージュである。ここでは、移民労働者であったモンタークの祖父をはじめとする、名もなき人物を演じる5名の役者による、虚無を感じさせるパフォーマンスが繰り広げられている。建物の中には、埃や土が舞っているような演出があり、使用されている土や地面の一部は、モンタークの祖父の故郷であるトルコから持ち込まれたものだそうだ。そして入館前に並んでいた時に目にしたであろう、パビリオンのファサードを覆う土も、同様にトルコから運ばれてきたらしい。奥のスペースでは、ヤエル・バルタナの未来的な宇宙旅行体験をすることができる。宇宙ステーションの丸みをおびた窓から、膨大な宇宙を眺めているような錯覚に陥るだろう。

この不穏ながらも魅力的な作品を通して、過去や現在が生み出した危機的状況や、ディストピア的な未来が垣間見えるだろう。人は、この混沌とした中に創造性という希望を見出し、境界や限界を超えることで、異なる未来を築く可能性が見つけられるかもしれない。

ワカペディア・エンターテインメント賞

率直に言えば、私たちはこのパビリオンが大好きだ!薄暗い館内では、ミラーボールを思わせる眩いライトが光り(宇宙船をイメージしているらしい)、音楽が流れている。まるで、世界最高峰のテクノクラブと称され、入り口のセキュリティがとても厳しいことで有名な、ベルリンのナイトクラブ「ベルグハイン」みたい!SF的でダークなレイヴ・パーティーでも開催しているようなこのパビリオンからは、ベルリンのアンダーグラウンドな雰囲気を感じられる。役者たちのパフォーマンスを通して、私達は戦慄と苦悩、そして衝撃を受けた!展示のタイトルとなった「Thresholds(境界)」は、オリジナルで既成概念にとらわれない表現だ。何より、ドイツ人監督とイスラエル人アーティストとの共演は、民族間の連帯を表す象徴であり、暗い歴史を乗り越えて未来へ進むための歴史的瞬間にふさわしいと感じた。

日本館

東京を拠点に活動するアーティストの毛利悠子氏は、東京の地下鉄で用いられている水漏れ対処装置からインスピレーションを受けて、「Compose」と題したインスタレーションを発表したこの展示では、パビリオン内にパイプ、電球、ポンプ、ビニール袋などの日用品が天井から吊り下げられ、作品の中心となる「水」が集められた後、様々な仕掛けを通して、予測不可能な経路で流し出される。空間の中には、変色し始めた果物に電極が繋がっていて、この果物の水分を電気に変換し、光と音が生み出される。つまり、果物から水分が失われていくにつれて、電気は次第に弱まっていくという仕組みだ。この作品は、どこか詩的で洗練されている一方で、少しばかりの憂いを観客に残すだろう。この「Compose」は、私たちが直面する地球温暖化などの喫緊の課題に対し、独創的な解決策を見出すために、コミュニティーの協力がいかに役立つのかを象徴していると言えるだろう。

ワカペディア・エコフレンドリー賞

ここだけの話、今回の日本館の展示は、私たちには(人種差別をベースにした)パビリオンの全体的なーマからは少し外れているようにも思えた。日本にも先住民族であるアイヌ民族、差別や迫害を受けてきたハンセン病など、今年のテーマに関連し得るトピックは多々存在するとは思うものの、メルティングポットと言われるアメリカや、陸続きで移民や難民が身近なヨーロッパに比べて、(島国で単一民族国家の印象が強いこともあり)日本人には馴染みの薄いテーマだったのだろうか・・・?それでもワカぺディアチームが日本館をトップ5に選んだ理由は、一見軽やかに見えるこのインスタレーションの裏には、水の都ヴェネチアの水害や気候変動問題など、非常に深刻な問題のメタファーが隠されているのが印象的だったからだ。  

オーストラリア館

白と黒で統一された、ミニマルで荘厳な雰囲気が漂うこのパビリオンは、オーストラリアの先住民族であるアボリジニをバックグラウンドを持つアーティスト、アーチー・ムーアによる先住民族の記念碑とも言える。ムーアは、パビリオンの内側にある真っ黒な壁面や天井に、6万5000年まで遡る2400世代以上もの祖先の巨大な系図を、数ヶ月かけて白いチョークで描いた。まさかこれが手描きとは!周囲の暗さとは対照的に、空間の中央には、何千枚もの書類が白いブロックのように整然と積み重なり、存在感を放っている。これは、オーストラリアの刑務所における、先住民の死亡を記録した監察医の報告書だ。オーストラリアの全人口に占める先住民の割合はわずか3.8%であるにもかかわらず、囚人の33%を先住民が占めている。人々はこの事実をどう受け止めるのだろうか?

このインスタレーションは、オーストラリアの歴史と同時に、アーティストとその祖先という個人的なストーリーにも密接に結びついている。また、植民地化による方言の衰退、先住民コミュニティに加えられた残虐行為や数々の劇的なエピソード等を浮き彫りにしている。作品のタイトルである「Kith and Kin」は、かつて「同胞」と「祖国」を意味する2つの言葉であったが、時代とともにその意味は失われ、今では一般的に「友人や親戚」を意味するようになった。この変化は、進化と消滅の曖昧さや、歴史的記憶の必要性と脆さを強調している。そしてその両義性は、私たちが過去の教訓をどのように現在に活かし、将来に向けてどう適応させるか、という問いに直面させるだろう。

ワカペディア・エモーション賞

オーストラリア館の作品を高く評価したのは、ワカぺディアチームだけじゃない。今年の金獅子賞を受賞したことが、その証拠と言えるはず!このプロジェクトに多くの人が惹きつけられるのは、家族、差別、個人史、集合的な記憶といった壮大なストーリーであり、いくつものレベルで深く共鳴し合っているからだろう。「Kith and Kin」は、オーストラリアだけではなく、世界中の少数民族や差別と戦ってきた人々、虐殺にスポットライトを当て、私たち人類はそれにどう向き合い、未来を描くのかという問いを投げかけ、考察を促しているように思う。もう、とにかく涙が出るほど感動した!

ポーランド館

当初、ポーランド人アーティストであるイグナシー・ツワルトスによるインスタレーションを予定していたポーランド館。ところが、政治指導者の交代が起こった後の12月29日に、突如アーティストの変更を発表し、この決断は検閲だと非難されて物議を醸し出した。政治の圧が透けて見えたポーランド館は、最終的に、マルタ・チェズをキュレーターに迎えた。そしてウクライナからの難民であるユーリー・バイリーパブロ・コヴァハアントン・ヴァルガによって形成されたコレクティブ「オープン・グループ」をアーティストとして迎えた。この「オープン・グループ」は、戦争のトラウマを扱い、シンプルだが非常に強烈なビデオインスタレーションを制作した。ビデオのインスタレーションでは、様々な男女が戦争の音を声で再現している。「ウーウーウー」「ボーン、ボーン」これらは、彼らが日常的に聞いていたサイレンやミサイル、そして爆発音だ。このインスタレーションが「Repeat After Me II(私の後に続けて言ってください パート2)」と名付けられたのは、戦争下の国に住む人々が生き延びるためには、銃弾やサイレンの音を聞き分けることが極めて重要であることを強調するためだ。この作品では、パビリオンの暗いホールに設置されたマイクに向かって、これらの音を「歌う」ように観客を促し、戦争で人々がトラウマとなったであろう爆発音を真似る声が、会場に響き渡る。こんなに悲しくも痛ましい「カラオケ」が、これまであっただろうか。

ワカペディア・政治芸術賞

(この表現が適切かはわからないけれど)ひとつ言わせてもらうと、いくらワカぺディアチームが大のカラオケ好きだからといって、このパビリオンをトップ5に選んだ、という訳では無いということ。「オープン・グループ」の作品は、ウクライナの人々が日常的に経験している苦難の一部を、ほんのわずかながらでも理解することが出来るかもしれない。観客がマイクを通してアーティスト達と対話することが出来るインスタレーションは、独創的で心に残りやすいだろう。一見、遊びのように見えるかもしれないが、この作品は「難民の立場に立つ」か、「マイクの前に立つ」ことで身を挺して状況に反抗するか、という二つのメタファーを表している。ワカぺディアチームは何度かこのパビリオンを訪れたものの、様子をうかがいながら見回す人はいても、マイクの前に立つ人は現れず、いつも長い沈黙が会場を包んだ。これは意志表示をすることに対する恐怖なのか、無関心か、罪悪感なのだろうか?普段見聞きしている世界の悲惨な出来事に同情しつつも、声を上げることを躊躇してしまう私達。この静かで圧倒されるような空間に、私達は戸惑いと反省を覚えた。

ベルギー館

アーティストであるデニコライ&プロヴォストアントワネット・ジャティオノールスペキュロスの共同制作である「 Petticoat Governement (女性の天下)」は、ベルギー、フランス、バスク地方の籐と混合素材で作られた7体の巨人を中心とするマルチメディアのインスタレーションだ。

このフランス、ベルギー、スペインといった様々な地域の民話に登場する巨大でカラフルなキャラクターたちは、壮大な旅路の途中なのだ。巨人たちは、オーストリアとイタリアの境界に位置するレッシェン峠を越え、ヴェネチアに到着してから数ヶ月の間、しばらく休息をとるのだ。そしてビエンナーレ終了後は、ベルギー南部のシャルルロワ、フランス北部ダンケルクへ北上する。様々な民族、現代の神話と古代の民話を組み合わせたこの集団を通して、アーティスト等は私達に、国境という概念に縛られず、異なる文化や民族を越えた人間同士が、連帯し協調することを促している。

ワカペディア・グッド・バイブス賞 

シリアスなテーマやコンセプチュアルな作品を扱うパビリオンを沢山訪れた後、ベルギー館の館内に入ると、私たち観客は巨人の「スカート」の下へと導かれた。な、なるほど。これがまさに「 Petticoat Governement(女性の天下) 」というわけか!少し頭を休めつつ(?)、ポジティブなエネルギーをチャージすることができたのは本当に良かった!暗いニュースが多く、緊迫した国際情勢に悩まされる現代社会だけど、建前や表面的な理由を取っ払ったら、実際に私たちがすべきことは意外とシンプルなのかもしれない。メルヘンチックな雰囲気の中、音楽が流れ、カラフルで巨大な人形の下でダンスパーティが繰り広げられた。さぁ、1日をハッピーに締めくくろう。私達のように!